豊中の病院で親切な看護師さんに出会い、病院通いも楽しくなりそうです

私は20代の時に酷い喘息の発作を起こしました。
20分もの間、心肺停止状態に陥った私の体には後遺症が残り、20年以上経った今でも薬を服用しています。
この薬は、脳神経内科でも有名な医師がいる病院から紹介されたものですが、当時は私の病気がとても珍しかったようで、その医師が学会に発表すると言う程の病でした。
その医師は、薬をコンマ単位で減らしたり、増やしたり、とても熱心に私の病気と向き合って下さいました。
その医師と二人三脚でリハビリを頑張り、杖歩行が出来るようになった頃には、20代だった私もいつしか30代になっていました。

そんな時に、ずっと頼りにしてきた医師が病気になってしまい、休業をされる事になりました。
やむを得ず、別の病院の神経内科の医師を紹介されました。
しかしその医師は、私を最初に診て下さった信頼していた医師とは全く対応が違いました。
薬に関しては、当時信頼していた医師が熱心に調合して下さっていたものと全く同じ薬を処方されていましたが、後は「この患者は、診察時間5分、10分、15分」と時間を決めて診察を行っているだけでした。
そんな医師でしたので、いつも診察は5分、薬の処方のみという日々が何年も続きました。
血液検査なども一切ありませんでした。

しかし、3年前から悪夢の様な日々が始まりました。
まずは、仕事中に激しくめまいが起こるようになりました。
何度も何度も、主治医に伝えました。「じゃ、血液検査でもしますか?」と言われるばかりでした。
検査をして頂くようお願いしましたが、やはり主治医からは「異常はないですね。」との診断を受けました。

そして同じ年には仕事中に倒れてしまい、会社の近くの一番大きな市立豊中病院に行くように手配されました。
きっと私の主治医が分かる範囲ではなかったのでしょう。
私は運び込まれた先の豊中病院で、婦人科のテリトリーである「多発性子宮筋腫」の診断を受け、手術を受けました。
私は主治医に、毎回のように自分の症状を訴えていましたが、婦人科を紹介など一切ありませんでした。

そしてその1年後には、いつも飲んでいる薬が飲み込めなかったので、急いで主治医の病院に行きました。
結果的には軽い脳梗塞でしたが、今でも後遺症が残っています。

更に1年後、今度は熱が出たので診察日に主治医に言いました。
主治医からは、「インフルエンザの予防接種をしましょう。」と言われましたので、予防接種を受けましたが、当時、発熱は元からあったものの、くしゃみや鼻水などの発熱以外のインフルエンザの症状は全くありませんでした。
そして2日後の日曜日、今度はそこの病院の休日外来に行き、その時当番医をされていた全く知らない医師に診て頂きました。
血液検査とCT検査を受けた所、「お腹のしこりに気が付きませんでしたか?血液検査でも分かるように、「腫瘍マーカー」が出ています。ここの病院ではここまでしか見られません。紹介状を出しますので、明日、朝一番で市立豊中病院で受診してください。」と言われました。
その当番医は私が通っていた病院の医師ではなく、他の病院から臨時で来られていた方でした。
結果的には悪性腫瘍でしたが、市立病院の先生は、「ここの病院では無理。大学病院に紹介します。」とはっきり言ってくださいましたので、私は大学病院の方で適切な治療を受ける事が出来ました。

私は今は以前の私立豊中病院に通っています。
いろいろな病気で通院が多くなり、なんだか看護師さんとも親しくなりました。
待ち時間に話しかけてくれたり、わたしの症状もよく知ってくださっているので、その点ではとてもあり難いなと思います。
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こんな素敵な看護師さんがいてくれると、病院通いも苦でなくなります。